竹中土木
見えないからこそ、 完璧であらねばならない。
Chapter 01

住民と思いを一つにする

小さな町は大きな不安に包まれていた。廃棄物の焼却灰、不燃物を埋め立てていた処分場の遮水シートが破損して有害物質が流れ出たためか、地下水からカドミウムが検出されたのだ。地元の湯河原町と真鶴町は約1年がかりで埋立物を搬出。処分施設の再整備工事を行うことになった。2015年、その工事を受注したのが竹中土木。所長として現場に赴くことになったのが、茂呂達明だった。「営業から関わり、工事も自ら赴いて行うことになった。受注・詳細設計・工事と続けて担当するケースは珍しいことで、その点でもやりがいのある仕事だった」(茂呂)。当然のことながら町民の家庭から毎日ゴミは出てくる。処分施設を再整備するとは、その期間中、ゴミの行き場がなくなるということだ。やむなく他の自治体にゴミ処理を依頼するものの、1日も早い竣工が望まれるのは当然である。地域のため、住民のためにという思いが茂呂たち関係者に共通の思いとなったのは、自然なことだった。『みんなの町をいつまでも美しく』。そんなスローガンが現場に掲げられたのもそのためだ。「土木工事でこうしたスローガンを大書して掲げることは珍しい。我々の思いを伝えることで、町民の皆さんとも心を一つにしたかった」と、茂呂は振り返る。

Chapter 02

人の目に触れないから完璧な品質を
『妥協しない品質、守りきる安全』

工事はシンプルだった。プールのようなコンクリートの箱を造り、地中に埋めてフタをするのだ。だがスケールは桁外れである。長辺約100m、短辺約60m、深さ約15mと、とてつもなく巨大な箱なのだ。これほどのスケールのコンクリートを打つ工事はまれで、車両の手配、作業員の手配、材料の手配と、茂呂の仕事は山のようにあった。しかも現場は標高450mの山中で、1本の急峻な山道ですべての資材を運ばなくてはならない。安全を最優先しつつ、茂呂は施工を進めていった。巨大なだけに工期も長期にわたり、春夏秋冬、季節によってコンクリートの収縮具合に違いが出ることにも配慮しなくてはならなかった。そこで茂呂は季節ごとにシミュレーションを行い、対策を練った。設計の段階から自ら関わったことで、こうした対策も万全であった。収縮等によってクラックが発生し、再び有害物質が漏れるようなことは、絶対にあってはならない。パーフェクトな品質を目指すのは当然だった。そうした茂呂のこだわりが、完成後、人々の目に触れることはない。「目につくところならば後で補修ができる。見えないところだからこそ、完璧な品質でなければならない。それが土木技術者としてのプライドだ」と茂呂は胸を張る。

Chapter 03

すべてにおいて“万が一”に備える

コンクリート打設後、内側をゴム製の遮水シートで二重に覆った。シートが破れてはならないから釘打ちはできず、茂呂が選んだのは強力な接着剤とマジックテープで確実に貼り付けていく方法だった。さらにクローズドシステム型の処分場であるため、プールに巨大なフタをするように屋根を架けていった。柱のない構造で、梁には巨大なH鋼を採用した。竣工後、本番稼働の前に行われた試験的な運用も竹中土木が担当。処分方法として、廃棄物の焼却灰にセメントを加えて固めるという先進的な方法(フジ式埋立工法)を採り入れている。これは災害などで万が一屋根が崩落したり飛ばされたりするようなことが起きても、有害物等を含んだ浸出水が流れ出ないようにするためだ。「コンクリートの完璧な品質を目指したこと、シートを接着したこと、焼却灰にセメントを混ぜる工法を採用したことなど、すべてにおいて“万が一”に備える発想で設計した。40年間使用される予定の施設であるが、100年後も変わらない姿でいるだろう」と茂呂。最終処分場再整備工事は2019年3月に完成。巨大なコンクリートの箱の周囲は土で埋められ、皐月の苗が植えられた。住民を不安に陥れた施設は、美しい自然に囲まれた安全・安心な処分場へと生まれ変わったのである。

Profile

茂呂 達明
君津環境整備センター
第Ⅲ期増設工事作業所 所長
1991年入社
農学部農業土木学科卒

「最良の作品を世に遺し、社会に貢献する」という理念に共感して入社。軟弱地盤上の発電施設工事における土木工事・建築工事、地盤改良による人工地盤を用いた宅地造成工事、土質が異なる施工基盤における最終処分場建設工事等を担当。これまで土木工事と同時に建築工事も数多く経験してきた。現在は千葉県君津市にある民間の産業廃棄物最終処分場の増設工事を担当。
「竹中土木にとどまらず、竹中工務店にも育ててもらったという思いがあります。会社は違っても同じグループであり、作品づくりに対する思いも変わりはないと感じています」