竹中土木
決して諦めない。 不可能を可能にするために。
Chapter 01

早期開通の社会的使命

「なんとかできるんちゃうか?」。難しい表情を突き合わせていた男たちの中から、誰ともなくそんな声が上がった。輪の中心にいたのは深津真彦。誰もが無理だと思っていた難工事に真正面から対峙する、そんな覚悟を決めた瞬間だった。1966年の開通以来、交通量が激増する一方の東名高速道路・名神高速道路に対して、新東名高速・伊勢湾岸道とともに機能補完の役割を期待されて建設されることになったのが新名神高速道路だった。2017年の全線開通を目指して工事は急ピッチで進行。その中で兵庫県神戸市の有野川橋西の下部工事を担うことになったのが竹中土木だった。総延長約230m、橋脚21基、橋台3基を用地問題を抱える条件のもと、工期12ヵ月で構築する工事で、通常ならば1年半から2年はかかるだろうという、極めて厳しい条件での受注だった。深津たちは、不可能を可能にするために連日ブレーンストーミングを実施。工期を短縮するためのアイデアがいくつも机上に広げられ、その中の橋脚のプレキャスト化というアイデアに対して「できるんちゃうか?」という判断が下されたのである。しかもすべての橋脚・橋台を完成してから上部工側に引き渡すのではなく、構造物が完成するたびに順次渡していくという異例の手段を採ることに。「下部工、上部工の違いを超えて、全面開通の目標に向けて志を一つにしようとの思いがあった」と深津は振り返る。

Chapter 02

難題に次ぐ難題に立ち向かう

プレキャスト化するのは4基の橋脚と決まった。深津は早速その実現に向けて、工法の特許をもつA社に問い合わせる。だが返ってきたのは「No」だった。業務が忙しくて対応できないというのがその理由だった。深津は下を向くことなくさらに調べを進め、同様の技術をもつB社に打診。こちらは幸い快い返事が得られた。だが一つの山を越えたら次にさらに大きな山が待ち構えていたのがこのプロジェクト。特殊な工法であるため施工業者が決まらず、やっと引き受けてくれた業者も及び腰だった。「そこで業者を集めて勉強会を開き、作業に向けて技術を共有した」(深津)。プレキャスト化でいくと決めたのが2015年2月で、最初の材料発注リミットが6月初旬。深津は業者の手配の傍ら、変更の詳細設計を行う会社の技術グループと設計コンサルタント会社との調整にも駆けずり回った。工期短縮を絶対条件に、経験したことのない工法の採用に踏み切った深津。しかも上部工工事には一切の影響を与えてはならないという非常に困難なチャレンジだった。深津は既存の優秀なメンバーに加え、以前一緒に働いたやる気に満ちた若手社員を思い出し、「ぜひ彼を使いたい」と会社に直談判。作業所メンバーとして呼び寄せた。「厳しいプロジェクトだからこそ、チームづくりが最も重要になる。何が必要かをいち早く判断して、手を打っていくことが所長の使命だ」(深津)。

Chapter 03

シビルエンジニアとしての覚悟

文字通りの綱渡りの連続で、深津たちは工期短縮に見事成功。期限内に上部工側にバトンタッチできた。ところが話はこれで終わらない。深津たちの仕事ぶりを見ていた発注者が「これなら頼んでも大丈夫では」と思ったかどうかわからないが、他業者がやり残した盛土区間の工事や側道の整備なども引き受けてくれないかと打診してきたのである。急ピッチで橋脚・橋台の工事を進めていたさなかのことであり、元来が無理な話であった。だが深津たちの「なんとかできるんちゃうか」との精神は貫かれ、これらの工事も引き受ける。結果として当初予定していた約3倍もの施工量をこなしてみせたのだった。新名神の早期開通という社会的命題の解決に向けた深津たちの貢献度は、計り知れないほどのものとなったのである。目の回るような日々を送っていた当時を振り返り、深津は語る。「社会の人々が当たり前のように使う施設を、当たり前のように造るのが我々シビルエンジニアの使命。そのために“なんとかしてみせる”という志を貫くことが、竹中土木の作品づくりを支えている」。深津の思いはこの先も変わらない。

Profile

深津 真彦
工事部 工務グループ 
工務グループリーダー

1995年入社
理工学研究科土木工学専攻修了

土木の「ものづくり」に携わりたくて、竹中土木を目指した。入社試験前の的確・迅速な先輩のアドバイスと親身になってくれる人柄に竹中土木の風土を感じて入社。
高速道路やトンネル工事、都市再開発から海底連絡管設置工事など数多くの現場を経験。その傍ら、営業としても経験を積む。
「これから入社する皆さんには、ぜひ“現場でのものづくり”のやりがいや楽しさを伝えていきたいと思います。私自身は今後、ものづくりを見据えた一貫した組織づくりの一端を担っていきます」